pointidea
英検、IELTS、TOEFL、Cambridge英検CPE、国連英検、工業英検といった英語テストのスピーチ/ライティング対策について、また、TOEICをはじめ、英語学習の様々な問題について考えていきます。
英検1級の本当の価値とは
この場では、これから英検1級をお受けになる方や、既に合格されたような方に向けて綴っているのですが、時折こんな言葉を聞くことがありませんか?
「英検1級持ってても意味ないよ」
とか、
「英検1級は実際には役に立たないよ」
って。
企業の方の本音なんかでもよく聞きます。英検1級程度では使い物にならない、と。
TOEICなどでも、よく900点ぐらい持っている方の英語の運用能力が疑問視されたりしますよね。今品川あたりの英会話学校は繁盛しているそうです。理由は品川に本社がある某企業のようですが…
英検1級合格の価値は、どの立場からこのテストを見るかで随分と変わってくるようです。
教養あるネイティヴと比べるような場合は、ギリギリで通過したような方の対ネイティヴ比における英語運用能力の実力はせいぜい3割程度、良くて4~5割程度なのではないかというのが私の実感です。
帰国子女の方で、現地滞在経験が10年近くになるような、ほとんど「準ネイティヴ」的な層はまた別で、彼らの自然な英語力というのは、いわゆる日本人英語学習者の枠でくくられる層とは別扱い、というところでしょう。そして、彼らは「日本人化」することとの文化的軋轢や日本の世間に対して、どうもなじめない感覚などと格闘することになるのかもしれません。これは私の想像ですが。
英検1級は難しすぎて無意味、という意見についても初学者の学習継続上の動機づけという点からは納得できる点もあります。
すべての人が教養あるネイティヴのような英語を目標にする必要があるわけではありませんし、快楽的な英語、純粋な楽しさだけを追求した方が学習も楽しいし、長続きするから、という理由もごもっともです。それに、こういった楽しい学習(外国人の彼女・彼氏との付き合いなども含めて)のほうが、速成でナチュラルな英語を身につけることにもつながると思います。
何が言いたいかというと、自分が英語学習の最終到達地点をどこにおいているか、どのような英語を身につけることをイメージしているかに応じて、英語学習のアプローチや、テストの使い方も変えるべきだろう、ということです。
これは英検だけに限った話ではなく、TOEICやその他のテストでも同様でしょう。
通訳や翻訳の道に進みたければ、極端な話、英語テストなどにお金と時間を費やすのは無駄な遠回りでしかないとも言えるかもしれません。
また、英検にしろTOEICにしろ、現在日本で主流とされているメジャーな英語力を測る試験は、英米圏ではほとんど認識されていないという点を頭のどこかにおいておくことは大事だと思います。
留学やビジネスのための英語力を鍛える場として非常に有効だとは思いますが、いくら日本英語検定協会が英検1級でアメリカ留学が可能であることを謳っていても、実際は非常に限られたマイナーなレベルでしか通用しないというのが現実でしょう。それでも実際に現地の環境に飛び込む価値というものは、非常に大きいとは思いますが。
TOEFLやIELTS、GREといったテストでないと、こういった試験で一定の水準に到達しないと道が開けないという面があるのも事実だと思います。この点では英検もTOEICも趣味の範囲を出ないと言えるかもしれませんし、そもそも英語のテストだけで包括的な英語力をつけようという考えに、どこかひずみがあるのかもしれません。
しかし、たかがテスト、されどテスト、です。
結局英語テストとその結果に意味を持たせることができるのは、自分の考え方次第です。
取り組む価値がないと思えば取り組む価値はなくなりますし、これは挑戦し甲斐がある、結果を手にすれば自分の人生が変わると思えば、その結果を手にする日がやがてやってくることでしょう。
英検1級合格は、地球(母国語環境)と月(英語環境)との間に存在するラグランジュ・ポイントのような存在です。
日本語の強い影響を受けているようでいて英語的な発想も干渉してきますし、完全に英語の重力圏に捉えられているかというとそうでもなく、母国語に引き込まれ続ける状態となります。
まず、そこまで行くのにも大きなエネルギーを必要としますし、そこから先もまだまだ遠い道のりです。
すべての日本人英語学習者が、そんなエネルギーを費やしてまで、月まで行く必要があるのでしょうか? そんなわけはありませんよね。
行きたい方だけが行けばいいと思いますし、宇宙旅行と同じようにリスクもかなり大きいでしょう。
中間点(個人差は多少あると思いますが)への道のり、そこからさらに先へと至る道のり。
英検1級の価値は、その距離感が実感として多少把握できるようになる点にあるのかもしれません。
これは到達してみないとなかなか見えてこない距離感だと思います。
どのような事情があっても諦めずに学習を続けさえすれば、誰でも行ける地点なのではないかと思います。
その後の英語力の衰退や成長を決定づける、合格よりもっと重要な問題は、その地点に到達した後にどうするのか、どうしたいのか、次にどこへ向かうのか、でしょう。
最終到達地点のイメージを持っておいたほうがいい、というのはこういう理由からなのです。
「英検1級持ってても意味ないよ」
とか、
「英検1級は実際には役に立たないよ」
って。
企業の方の本音なんかでもよく聞きます。英検1級程度では使い物にならない、と。
TOEICなどでも、よく900点ぐらい持っている方の英語の運用能力が疑問視されたりしますよね。今品川あたりの英会話学校は繁盛しているそうです。理由は品川に本社がある某企業のようですが…
英検1級合格の価値は、どの立場からこのテストを見るかで随分と変わってくるようです。
教養あるネイティヴと比べるような場合は、ギリギリで通過したような方の対ネイティヴ比における英語運用能力の実力はせいぜい3割程度、良くて4~5割程度なのではないかというのが私の実感です。
帰国子女の方で、現地滞在経験が10年近くになるような、ほとんど「準ネイティヴ」的な層はまた別で、彼らの自然な英語力というのは、いわゆる日本人英語学習者の枠でくくられる層とは別扱い、というところでしょう。そして、彼らは「日本人化」することとの文化的軋轢や日本の世間に対して、どうもなじめない感覚などと格闘することになるのかもしれません。これは私の想像ですが。
英検1級は難しすぎて無意味、という意見についても初学者の学習継続上の動機づけという点からは納得できる点もあります。
すべての人が教養あるネイティヴのような英語を目標にする必要があるわけではありませんし、快楽的な英語、純粋な楽しさだけを追求した方が学習も楽しいし、長続きするから、という理由もごもっともです。それに、こういった楽しい学習(外国人の彼女・彼氏との付き合いなども含めて)のほうが、速成でナチュラルな英語を身につけることにもつながると思います。
何が言いたいかというと、自分が英語学習の最終到達地点をどこにおいているか、どのような英語を身につけることをイメージしているかに応じて、英語学習のアプローチや、テストの使い方も変えるべきだろう、ということです。
これは英検だけに限った話ではなく、TOEICやその他のテストでも同様でしょう。
通訳や翻訳の道に進みたければ、極端な話、英語テストなどにお金と時間を費やすのは無駄な遠回りでしかないとも言えるかもしれません。
また、英検にしろTOEICにしろ、現在日本で主流とされているメジャーな英語力を測る試験は、英米圏ではほとんど認識されていないという点を頭のどこかにおいておくことは大事だと思います。
留学やビジネスのための英語力を鍛える場として非常に有効だとは思いますが、いくら日本英語検定協会が英検1級でアメリカ留学が可能であることを謳っていても、実際は非常に限られたマイナーなレベルでしか通用しないというのが現実でしょう。それでも実際に現地の環境に飛び込む価値というものは、非常に大きいとは思いますが。
TOEFLやIELTS、GREといったテストでないと、こういった試験で一定の水準に到達しないと道が開けないという面があるのも事実だと思います。この点では英検もTOEICも趣味の範囲を出ないと言えるかもしれませんし、そもそも英語のテストだけで包括的な英語力をつけようという考えに、どこかひずみがあるのかもしれません。
しかし、たかがテスト、されどテスト、です。
結局英語テストとその結果に意味を持たせることができるのは、自分の考え方次第です。
取り組む価値がないと思えば取り組む価値はなくなりますし、これは挑戦し甲斐がある、結果を手にすれば自分の人生が変わると思えば、その結果を手にする日がやがてやってくることでしょう。
英検1級合格は、地球(母国語環境)と月(英語環境)との間に存在するラグランジュ・ポイントのような存在です。
日本語の強い影響を受けているようでいて英語的な発想も干渉してきますし、完全に英語の重力圏に捉えられているかというとそうでもなく、母国語に引き込まれ続ける状態となります。
まず、そこまで行くのにも大きなエネルギーを必要としますし、そこから先もまだまだ遠い道のりです。
すべての日本人英語学習者が、そんなエネルギーを費やしてまで、月まで行く必要があるのでしょうか? そんなわけはありませんよね。
行きたい方だけが行けばいいと思いますし、宇宙旅行と同じようにリスクもかなり大きいでしょう。
中間点(個人差は多少あると思いますが)への道のり、そこからさらに先へと至る道のり。
英検1級の価値は、その距離感が実感として多少把握できるようになる点にあるのかもしれません。
これは到達してみないとなかなか見えてこない距離感だと思います。
どのような事情があっても諦めずに学習を続けさえすれば、誰でも行ける地点なのではないかと思います。
その後の英語力の衰退や成長を決定づける、合格よりもっと重要な問題は、その地点に到達した後にどうするのか、どうしたいのか、次にどこへ向かうのか、でしょう。
最終到達地点のイメージを持っておいたほうがいい、というのはこういう理由からなのです。
英検はとてもいいテストです!
最近はTOEICに押され気味の英検ですが。
私は英検は本当にいい試験だと思います。Kids英語で積極的に取り組んでいるお母さん方も多いでしょう。
頂点に位置づけられる英検1級ですが、その実態はネイティヴ的な視点からは「はじめの一歩」。語彙や速読が得意で、問題文の先読みができて、かつ、実際にしゃべり慣れている方は比較的受かり易いテストですが、準備不足のまま受験すると、下手するとネイティヴでも失敗するかもしれません。
とにかくどのレベルからもエントリーできますので、TOEICに力を入れている方にとっても英検を学習プランに組み込むことは有益だと思います。
特に、英検1級の二次試験には注目です。ショートスピーチとショートディベートのひな型となるような形式ですので、ちょっと話せば自分の持っている英語力と教養の程度がすぐさま明らかになってしまいます。
ビジネスマンの方が受けてもプレゼンやロジカルシンキングをブラッシュアップする上で「頭の体操」的な価値を持っています。受け答えをすべて英語でやるわけですから。
今の日本人英語コミュニティの問題意識と、到達すべき最低限基本的な一般常識(国際情勢と国内情勢の理解)の水準を測るという点で、英検1級二次試験合格は、日本人英語学習者にとって達成目標として非常に良い目標なのではないかと思います。
貴方も英検1級二次試験合格を英語学習の一区切り・一つのゴールと位置付けてみてはいかがでしょうか。
私は英検は本当にいい試験だと思います。Kids英語で積極的に取り組んでいるお母さん方も多いでしょう。
頂点に位置づけられる英検1級ですが、その実態はネイティヴ的な視点からは「はじめの一歩」。語彙や速読が得意で、問題文の先読みができて、かつ、実際にしゃべり慣れている方は比較的受かり易いテストですが、準備不足のまま受験すると、下手するとネイティヴでも失敗するかもしれません。
とにかくどのレベルからもエントリーできますので、TOEICに力を入れている方にとっても英検を学習プランに組み込むことは有益だと思います。
特に、英検1級の二次試験には注目です。ショートスピーチとショートディベートのひな型となるような形式ですので、ちょっと話せば自分の持っている英語力と教養の程度がすぐさま明らかになってしまいます。
ビジネスマンの方が受けてもプレゼンやロジカルシンキングをブラッシュアップする上で「頭の体操」的な価値を持っています。受け答えをすべて英語でやるわけですから。
今の日本人英語コミュニティの問題意識と、到達すべき最低限基本的な一般常識(国際情勢と国内情勢の理解)の水準を測るという点で、英検1級二次試験合格は、日本人英語学習者にとって達成目標として非常に良い目標なのではないかと思います。
貴方も英検1級二次試験合格を英語学習の一区切り・一つのゴールと位置付けてみてはいかがでしょうか。
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